●神戸花隈、料亭やまさと
 

戦前、神戸花隈で山里家は料亭やまさとを運営しておりました。このお店が芦屋亭のルーツです。
当時の神戸の中心は、現在の三宮より少し西の神戸駅周辺、湊川神社や新開地がある場所で、その東に位地するのが花隈です。神戸の経済は旧鈴木商店(現在の日商岩井・神戸製鋼等)が支えており、花隈はその接待に使われた料亭が多く集まって賑っていた場所です。その中の一軒が料亭やまさとです。
料亭やまさとでは、「道の真ん中はお客さんが歩くもん、私らは道の端を歩きなはれ。」と、常に顧客優先主義を貫いて商売をしておりました。また、旧神戸呉服店(その後の三越神戸店)の大食堂の運営もしていたそうです。しかし、第二次大戦の神戸大空襲で料亭やまさとは消滅しました。

●神戸岡本、手打そば東明
 

その後、飲食の世界に関わっていなかった山里家は、神戸市東灘区にて手打そば東明として再出発する事になりました。
その当時、神戸では手打そば専門店が非常に数が少なく、特に関西人に手打そばを理解させるのは至難の技であり、この状況での立ち上げとなりました。徐々に顧客も増え、ようやく商売も地に足がついてきた頃に神戸を襲ったのが阪神淡路大震災です。大きなダメージを受け、震災後も再投資して店を修理し、再出発しましたが、神戸の人口は激減さらに平成の大不況も重なり閉店することを余儀なくされました。この閉店では多くの方々に迷惑をお掛けしました。

KONAN食彩館にて食品流通の勉強
  神戸市東灘区は阪神高速道路が倒れるなど、特に震災の被害の激しい場所でしたが、その中にある新甲南市場は大きな被害を受けました。
倒壊した市場の商店主が国の高度化資金を利用して協同組合組織を結成し、スパーマーケットとして再出発する事になりました。幸運にも東明での取引先のご縁でその新しいスパーマーケットKONAN食彩館で働かせていただく事になりました。
ここでの仕事は仕入れ業務やマーケティングです。通常、飲食業の人間が入り込めないような食品流通の裏側まで勉強する事が出来ました。ここでの情報や知識は様々な仕入れ商談に現在の芦屋亭で生かされています。

●山中湖 旧芦屋亭本店

  その後、手打そば東明時代のお客様のご縁で、山中湖で再び手打そば店を出店する事になりました。
店名は、関西の名残を残すために芦屋亭としました。全くの手作りの簡素な内装、厨房機器は全て中古、オープン時はテントのポールでそばを伸すなど、全く資金の無い店でしたが、竣工オープンの日は思わず目頭が熱くなったのを覚えています。
ここで最初に取り組んだのが石臼挽き自家製粉でした。これにより粉の粗さを変えたり篩のメッシュを変えたりする事で、様々な種類のそばを打つ事が出来るようになりました。更に契約栽培の原材料の入手があります。実際に産地まで出向き、その栽培方法や畑の場所を指定し、それに答えてくれる生産者さんに感謝しながらそばを打つ。職人の技に溺れず、手を抜かず丁寧にそばを打つ事で芦屋亭のそばは年々レベルアップさせる事が出来ました。そして芦屋亭を育ててくれたのは山中湖に別荘を持つお客様や首都圏からわざわざ通ってくれるお客様の貴重な御意見でした。
平成19年10月末日をもって契約期限が満了し閉鎖する事になりましたが、何も無い田舎でそばだけに集中した6年間は貴重な時間でした。山中湖で知り合った方々の御意見やご恩は芦屋亭のまさに財産です。
●新浦安 芦屋亭本店
 

さて、今回手がけている新浦安は山中湖で蓄えたノウハウが厳しい首都圏で通じるかをチャレンジする立地だと思っております。
山中湖では自分にプレッシャーをあまり掛けずに、只淡々とノウハウを蓄えてまいりました。しかし新浦安では目標を決めて、ずれさせない!このような気持ちで挑んでおります。
蕎麦については毎年毎年、去年より去年よりと進化させていく気持ちで作り続けております。その完成度が増すにつれて他の料理や飲み物にも隙がないようにレベルアップしていきたいと思っております。
蕎麦という食材をメインにした場合、蕎麦以外のお料理であまり強いメニューを持つと全体のバランスが崩れてしまいます。そこで「健康」と言うキーワードに着目して大阪正食協会の協力を経て、マクロビオテック調理法を研究していく事にしました。日本古来の調理方法であるにもかかわらず、むしろ海外で注目されているこの調理法は、蕎麦との相性が非常に良いことがわかりました。まだまだ発展途上ですが、近い将来に完成度を上げて極めていきたいと考えております。
新浦安と言う立地で感じた事は、関西出身のお客様が沢山住んでおられる事に驚きました。「天下の台所、食い倒れの大阪」を中心とした関西からの拘り食材も取り寄せ、今後もメニューを企画して行きたいと思っております。
どうぞ半年後、1年後、2年後の芦屋亭新浦安本店を皆様楽しみにして下さい。